現代社会に活かせる『神話伝承』が人生攻略のヒントになる!

神話伝承は、人類の長い歴史の中で培われてきた知恵と経験の宝庫です。そこには、人生のあらゆる場面で役立つヒントが隠されています。 日本心創り研究室では、神話伝承の紐解き、現代生活に活かせる生活の智慧と人生攻略法ヒントを紹介していきます。

『壱岐島』の不思議な力

3章
壱岐島にあった『一支国』の始まりから、終息

更新2026/7/31

一支国(いきこく / いっしこく)は、いまから約2,200〜1,700年前
(弥生時代の初めごろから古墳時代にかけて)、
現在の長崎県壱岐島(いきのしま)に存在したクニです。
中国の歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』にその名前が記されています。 (※書物の中では「一大国」と誤記されていますが、一支国のこととされてます)

三国志1 三国志2

宮内庁書陵部図書寮文庫
https://db2.sido.keio.ac.jp/kanseki/bib_frame?id=006754
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Toshoryo/Detail/1000067540000
書誌詳細:https://db2.sido.keio.ac.jp/kanseki/bib_detail?bibid=006754

又南渡一海千餘里。名曰瀚海。至一大國。官亦曰卑狗。副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。 有三千許家。差有田地。耕田猶不足食。亦南北市糴。

対馬からさらに南へ向かって、一つの海を千余里ほど渡る。この海を「瀚海(かんかい ※現在の玄界灘)」と呼ぶ。 そうすると一大国(一支国)に到着する。 このクニの長官も(対馬と同じく)「卑狗(ひこ)」といい、副官は「卑奴母離(ひなもり)」という。 島の広さは一辺が三百里(約22〜30キロメートル)四方ほどである。竹や木、草むらや林が多い。 家(世帯)は3,000軒ほどある。 多少の田んぼ(農地)はあり、田を耕してはいるものの、それだけではやはり食べていくには足りない。 そのため彼らも、南(九州)や北(朝鮮半島)へと海を渡って行き、交易(お米などの売り買い)をして暮らしている。

1. いつ、どのようにつくられたのか?

始まり(弥生時代の幕開け)
大陸から稲作や金属器の文化が伝わってきた際、朝鮮半島と九州本土のちょうど真ん中に位置する壱岐島に、 多くの人々が住み着き始めました。

集落の巨大化(紀元前2世紀〜1世紀ごろ)
島内のいくつかの集落の中で、島を流れる幡鉾川(はたほこがわ)の近くにある「原の辻(はるのつじ)」 という場所に人々が集まり、周りに大きな溝を掘った「環濠集落(かんごうしゅうらく)」がつくられました。 これが一支国のベース(王都)になります。

※プロフェッショナルなカラカミ集団の存在

一支国の王都とされる広大な「原の辻(はるのつじ)遺跡」と並び、 当時の交易や生産活動の重要拠点であった カラカミ遺跡(約2000年前)から高度な出土品も見つかってます。 大陸からの最先端技術(鉄器文化)をいち早く取り入れ、 それを日本列島へと仲介・拡散させる役割を担った、 プロフェッショナルな技術者・交易者たちの集団のことを カラカミ集団と言ってました。


ベンガラ

カラカミ遺跡出土品一支国博物館展示品

<高度なベンガラ焼きだった。>
当時の赤色土器は権力、神聖のシンボルとして交易に 使われたと考えられてます。 島内でベンガラを精製・加工する大がかりな「工房」が あった可能性を示しています。
水や穀物類の保存に適していた。美しい土器は 最先端のものだったと思われます。

[ベンガラ焼きの機能]
・防腐、防虫、防錆
・毒性が非常に低い
・耐久性がある
・美しい発色

※国の成立(紀元前後〜1世紀ごろ)

海外(中国や朝鮮半島)とのハイレベルな交易を独占することで原の辻のリーダーが富と権力を持ち、 島全体の小規模な村々を統合していきました。
こうして、1人の「王」が治めるしっかりとした「一支国」 という国が完成しました。

一支国博物館展示品

槍 剣 飾り

2. どのように発展したのか

『魏志倭人伝』には、当時の「一支国」彼らの暮らしぶりが生々しく書かれています。
「林が多く、少し田んぼはあるが、それだけでは食料が足りない。だから彼らは南(九州)や 北(朝鮮半島)へ海を渡って行き、交易をして暮らしている」

壱岐島は平地が少なく、お米があまり収穫できませんでした。そのため彼らは、抜群の操船技術を活かして 「海の交易商人」として生きる道を選んだのです。

弥生時代市場イメージ図 唐子博物館展示図

<活発な国際交流があった証の品>

中国の貨幣(貨泉)や鏡、天秤の「おもり(権)」、鉄器などが原の辻遺跡から大量に出土しており、 ここが日本最古の「国際貿易港(交易拠点)」としてめちゃくちゃ栄えていたことが証明されています。 朝鮮半島から運んできた鉄などの貴重な物資を、九州の奴国(なこく)や邪馬台国(やまたいこく)へと仲介することで、 一支国は小さな島ながらも強い存在感を放っていました。

銭 錘 顔 壺

参考:一支国博物館展示品

<王都へ出入りの仕方>

原の辻遺跡(はるのつじいせき)の船着場へ、当時の船がどのように入港していたかについては、 「東西の岩場」というよりも、地形的には「東側にある内海湾(うちめわん)の入り口」から進入し、 そこから川をさかのぼるルートをとっていました。

1. 外海から「内海湾」へ
進入

内湾

小島神社のある内湾

2. 大型船から「小舟」へ
乗り換え

小舟

3. 「幡鉾川(はたほこがわ)」をさかのぼって王都へ

船場

古代の最終船着場跡地

模型

参考:一支国博物館再現模型

古代の原の辻(一支国)は、「外海の荒波をさえぎる東側の岩場や島々」と「内海の穏やかな湾」(小島神社のある内湾) から「王都へ直結する川」という天然の地形を巧みに利用して、安全に船を迎え入れるシステムを作りました。

ミニ知識
一支国(弥生時代)」の時代、まだ日本には現代私たちがイメージするような 社殿(神社の建物)を持つ「神社」はありませんでした。 当時は、巨大な岩や山、島そのものを神様として拝む「原始的な自然信仰(古神道)」 アニミズム信仰の時代だったからです。 しかし、「歴史の記録」や「神社の起源」という視点から見ると、一支国の時代から 現代につながる「壱岐で最も古い(最初期とされる)神社」として、 神道・占い発祥の地の月讀神社(つきよみじんじゃ)と島全体が神域の小島神社が 当時の人々が最初に祈りを捧げ、のちに神社となったルーツです。
祈り

<弥生時代の壱岐島の人々と朝鮮半島の人々の違い>

「はっきりとした区別(アイデンティティの違い)」があったと考えられています。
もちろん、お互いに頻繁に行き来して一緒に暮らしていた形跡はたくさんあります。
「俺たちは壱岐の人間(倭人・わじん)」で「あいつらは半島の人間(韓人・かんじんなど)」 という明確な線引き、あるいは外見や文化の違いが存在していました。

※「見た目(骨)」の区別

弥生時代には、もともと日本列島にいた「縄文人」と、大陸や半島から渡ってきた
「渡来人(新人の遺伝子を持った人々)」が 混ざり合っていきました。
壱岐島の遺跡(カラカミ遺跡など)から見つかる当時の人骨を分析すると、面白いことが分かっています。

[壱岐島の人々]
縄文人の特徴を強く残している骨や、 やや渡来系と混ざった骨など、 「日本列島側の弥生人」の骨格をしています。

在来

参考:吉野ヶ里遺跡博物館展示品
学術的な手法で佐賀大学医学部の先生が復元した弥生人の顔

[朝鮮半島の人々]
当時の半島の人々は、壱岐の人々に比べて 面長で背が高いなど、骨格のバランスが
異なっていました。

渡来

参考:吉野ヶ里遺跡博物館展示品
学術的な手法で佐賀大学医学部の先生が復元した弥生人の顔

渡来人と在来人の人々が対面したとき、「顔つきや体格がちょっと違うな」と見た目で区別できた可能性は非常に高いことがわかります。

※「暮らし(土器や住居)」の区別

一支国の王都である「原の辻(はるのつじ)遺跡」からは、朝鮮半島で作られた土器(三韓系土器など)や、 半島風のオンドル(床下暖房)に似た構造を持つ住居跡が見つかっています。
ここで重要なのは、彼らのエリアが分かれていることです。

[倭人区域]
生活の基本は倭人スタイル 壱岐島の人々は、日本列島ならではの 「弥生土器」を使い、伝統的な竪穴建物で 暮らしていました。

[外来人区域]
半島人の「居住区」があった 原の辻の一角などから半島の土器が まとまって出土することから、 海外からの貿易商や職人が一時的・ あるいは定住するための専用エリアが あったと考えられています。

辻の原遺跡王都復元公園

普段使っている言葉や、食べている料理、道具が違ったため、お互いに 「違う文化を持つ異国の人」として認識してた証拠なのです。

※歴史書が語る「明確な境界線」

当時の中国の歴史書『魏志倭人伝』のルート案内を見ると、当時の人々がそこをハッキリと別世界として 区別していたことがよく分かります。

朝鮮半島の南端にあった「狗邪韓国(くやかんこく)」というクニを出発して、海を渡って対馬、そして壱岐(一支国)へと たどり着くのですが、歴史書にはこう書かれています。

(朝鮮半島の)狗邪韓国から海を渡ること千余里で対馬に到着する。(中略)さらに海を南に渡ること千余里で一大国(一支国)に 到着する。ここもみんな倭人(日本人)である

これは裏を返せば、「海を渡る前の半島側は倭人(日本人)ではないが、対馬や壱岐に渡ったら、そこからは言葉も文化も違う 『倭人の世界』だ」という明確な国境のような意識があった証

当時の壱岐島は、朝鮮半島の人々が日常的に歩いているような国際色豊かな島でした。
彼らは決して「なぁなぁ」に混ざり合っていたわけではなく、 「ここは俺たち倭人の島であり、あそこに見える半島のクニとは言葉も王様も違う」 という自覚(区別)を持った上で、
ビジネスパートナーとして大人の付き合いをしていたと言えます。

3. その後、どうなった?

西暦300年(古墳時代の初め)ごろになると、朝鮮半島との交易ルートの主導権が、より大きな力を持った 大和朝廷(日本の中心勢力)へと移っていきます。
それに伴って、貿易都市だった原の辻の集落はだんだんと縮小していきました。

しかし、一支国が培った「朝鮮半島と日本を結ぶ海のルート」はその後も重要視され、 のちに遣隋使や遣唐使が渡海する際の重要な中継組織へと引き継がれていきます。
地理的・戦略的ルート上の絶対的な要衝「海のハイウェイ」となり
後に軍事上の最前線「蒙古襲来」という過酷な運命を引き寄せることになるのです。

現在、王都だった「原の辻遺跡」は、弥生時代の遺跡としては全国でたった3つしかない
「国の特別史跡(遺跡の国宝)」に指定され、当時の建物や港が美しく復元されています。

過去コンテンツ目次

日本の秋文化[パート1]
更新2023/10/20

1章:日本人が紅葉や秋の食を楽しむようになった起源はいつから?
2章:紅葉狩と言われるようになったのはなぜ?
3章:紅葉狩が一般に行われるようたのは江戸時代

日本の秋文化[パート2]
更新2023/11/30

4章:日本古来からの秋食文化

日本独自文化『お彼岸』とは
更新2023/9/23

*彼岸に行う六波羅蜜とは *京都の六波羅蜜寺の由来 *六波羅蜜寺の空也上人どんな事をした人でしたのでしょうか? *人々を救う為の十一面観観音とは? *なぜお墓参りをするのか? *春.秋分の日と彼岸の違い? *お盆とお彼岸の違い *お墓参りに関する豆知識

日本の起源は何処から来たの?
[パート1]更新2023/12/25

1章:『日本列島の誕生』国生み神話
2章:『生と死の認識』黄泉の国神話
3章:『三貴神誕生』三貴神誕生神話

日本の起源は何処から来たの?
[パート2]更新2024/1/20

4章:『太陽神伝説』
・天岩戸神話
・お祭りの起源は「神楽」
・神様の会議場「天安河原」
・注連縄発祥地「天岩戸神社」

日本の起源は何処から来たの?
[パート3]更新2024/2/25

5章: 『国譲り神話』 6章:『天孫降臨』

日本の起源は何処から来たの?
[パート4]更新2024/3/31

7章:『ニニギの結婚』
『このはなさくやひめ』

古代日本『空白の4世紀』
更新2024/4/30

1章:空白時代の背景
・4世紀の世界も激動の時代だった
・空白時代の直前までの生活はどのようだったのか?
・唐子・鍵遺跡は『国作り』の礎だった。

古代日本『革新の4世紀』
更新2024/5/22

2章:古代日本の権力と美の象徴、ここに蘇る 謎の『蛇行剣』
・蛇行剣の神話伝承
・蛇行剣の歴史
・蛇行剣の存在と蛇信仰
・伝説を超える、禁忌の蛇行剣

古代日本『革新の4世紀』
更新2024/6/17

3章:古代を映し出す『鏡の宇宙』
・鼉龍紋盾形銅鏡の特徴
・鼉龍紋盾形銅鏡の模様の意味、用途
・鼉龍紋盾形銅鏡が作られた時代背景

古代日本『革新の4世紀』
更新2024/7/17

4章:蘇る真実『被葬者は誰?』
・木棺の3つの謎
・被葬者の性別は男or女?
・被葬者が大王だったら誰になるのか?
・被葬者が豪族だったら?
・被葬者の人物像はどんな人?

山幸海幸神話から学べること
更新2024/8/20

1章:神話に隠された人間関係から学ぶこと
<人生の羅針盤、兄の釣り針>
<隼人とはどんな人?>

山幸海幸神話から学べること
更新2024/9/30

2章:禁断と社会秩序に隠された真実
<豊玉姫の出産神話>
<禁断と社会秩序>

山幸海幸神話から学べること
更新2024/10/30

3章:ペトログリフが語る超古代王朝 <超古代ウガヤフキアエズ王朝> 1.謎のペトログリフが証明したウガヤフキアエズ王朝 2.天野岩戸の蓋には神代文字が刻まれてた事実 <神武天皇誕生直前の時代はどんな状況だったのか?>

日本の秋文化[パート1]
更新2023/10/20

1章:日本人が紅葉や秋の食を楽しむようになった起源はいつから?
2章:紅葉狩と言われるようになったのはなぜ?
3章:紅葉狩が一般に行われるようたのは江戸時代

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更新2023/11/30

4章:日本古来からの秋食文化

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更新2023/9/23

*彼岸に行う六波羅蜜とは *京都の六波羅蜜寺の由来 *六波羅蜜寺の空也上人どんな事をした人でしたのでしょうか? *人々を救う為の十一面観観音とは? *なぜお墓参りをするのか? *春.秋分の日と彼岸の違い? *お盆とお彼岸の違い *お墓参りに関する豆知識

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[パート1]更新2023/12/25

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2章:『生と死の認識』黄泉の国神話
3章:『三貴神誕生』三貴神誕生神話

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[パート2]更新2024/1/20

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・神様の会議場「天安河原」
・注連縄発祥地「天岩戸神社」

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5章: 『国譲り神話』 6章:『天孫降臨』

日本の起源は何処から来たの?
[パート4]更新2024/3/31

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『このはなさくやひめ』

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1章:空白時代の背景
・4世紀の世界も激動の時代だった
・空白時代の直前までの生活はどのようだったのか?
・唐子・鍵遺跡は『国作り』の礎だった。

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・蛇行剣の神話伝承
・蛇行剣の歴史
・蛇行剣の存在と蛇信仰
・伝説を超える、禁忌の蛇行剣

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3章:古代を映し出す『鏡の宇宙』
・鼉龍紋盾形銅鏡の特徴
・鼉龍紋盾形銅鏡の模様の意味、用途
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更新2024/7/17

4章:蘇る真実『被葬者は誰?』
・木棺の3つの謎
・被葬者の性別は男or女?
・被葬者が大王だったら誰になるのか?
・被葬者が豪族だったら?
・被葬者の人物像はどんな人?

山幸海幸神話から学べること
更新2024/8/20

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<人生の羅針盤、兄の釣り針>
<隼人とはどんな人?>

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更新2024/9/30

2章:禁断と社会秩序に隠された真実
<豊玉姫の出産神話>
<禁断と社会秩序>

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3章:ペトログリフが語る超古代王朝 <超古代ウガヤフキアエズ王朝> 1.謎のペトログリフが証明したウガヤフキアエズ王朝 2.天野岩戸の蓋には神代文字が刻まれてた事実 <神武天皇誕生直前の時代はどんな状況だったのか?>