『壱岐島』の不思議な力
2章
島に伝わる伝説
更新2026/6/30
更新2026/6/30
目次▼
1. 壱岐島誕生の「生き島伝説」
『古事記』の冒頭、伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)が日本列島を作った際、
壱岐は「生きている島」として動かないように八本の柱で繋ぎ止められたという伝説があります。
この「8本の柱」のなごりとされているのが、島内にある奇岩の数々です。
神話に登場する「八本の柱(折柱=おればしら)」ですが、実は8本すべてが現代に明確な特定の
岩として残っているわけではありません。
観光スポットや伝承として『猿岩』(猿の形をした巨大な岩)と左京鼻の『観音柱(かんおんばしら)』
この2つは島を挟んでちょうど真逆(東西)の位置関係にあり奇岩として神話に登場する
「八本の柱(折柱=おればしら)」として伝承されてます。
『猿岩』西海岸
黒崎半島の先端にある壱岐の西側にある自然によって造られた奇岩
「そっぽを向いたサル」にそっくり!
神話の舞台にもなっていて壱岐島が流れてしまわれないよう神様が建てた
「八本柱」の一つと言われています。
『左京鼻』東海岸
壱岐島の東海岸、八幡半島のほぼ先端に位置する「左京鼻」は、約1km続く断崖絶壁は、思わず息を飲むような絶景です。
海中から突き出た、柱状節理の奇岩「観音柱」は、島が流されてしまわないように神様が造った8本の柱のひとつだという伝承も残っています。
江戸時代に干ばつが続いた折、陰陽師の後藤左京らが雨乞いを行い、村人たちを救ったという伝記が、名前の由来だともいわれています。
名産のサザエ、ウニなどの海産物も豊富に採れる場所でもあります
残りの6本はどこ?
残りの柱については、「〇〇岩が3本目の柱」といった明確な指定は公式にはされていません。
しかし、壱岐島は火山活動によってできた島であり、海岸線のいたるところに「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」と
呼ばれる、岩が柱の形になって並ぶ美しい断崖や奇岩(ツインビーチの近くや、辰の島、牧崎など)が無数に存在します。
地元では、辰の島(たつのしま)の「羽衣の石柱」や鬼の足跡(牧崎)の周辺など
古くからの伝承では、こうした島中に点在するダイナミックな柱状の奇岩や、海にそびえる岩礁(岩の柱)の
数々を総称して、神話の「八本の柱が折れて残ったもの(折柱)」として捉えられています。
「島を守る無名の神聖な岩々」として海の中に溶け込んでいったと考えられています。
地元の語り部の方々の間では、「残りの柱は、今も荒波の中に隠れて島を支えている」
「特定の場所を決めないことで、島全体が神話の結界に守られていることを意味している」とも言われています。
2. 鬼の足跡伝説
壱岐島には、かつて「大鯨(おおくじら)」という名の巨大な大鬼が住んでいたという伝説があります。
大鬼がクジラを救う為、片足を現在の勝本町(島の北部)の「対馬瀬」にかけ、もう片方の足を牧崎(島の西部)
に踏ん張ったところ、その足の重みで岩が深くえぐれてしまったと言われています。
大きな鬼が壱岐島をまたいだため、足跡は二つあると言われてます。もう一つは辰之島にあると言い伝えがあります。
牧崎公園にある巨大な穴(周囲約110m)は、実際に「鬼の足跡」と呼ばれ、人気の観光名所になっています。

4. 小島神社(ひょうたん島)の「海割れ」伝説
壱岐のモン・サン・ミッシェルとも称される「小島神社」には、神聖な海の伝説があります。
太陽と月の引力が開く「神の道」
普段は海に浮かぶ孤島ですが、干潮時のわずかな時間だけ、
海が割れて参道(一本の道)が現れます。
「干潮時に参道が現れたときの、島と陸地を合わせた全体の
シルエットが『ひょうたん』の形にそっくりに見え,別名
「ひょうたん島」とも言われてます。
島から「小枝一本」でも持ち出すと神罰が下る
古くから「神領」として守られており、島にある木の一枝、
竹の一本すら島外に持ち出すことは神の怒りに
触れると恐れられ、現在も境内(島全体)からの持ち出しは厳禁とされています。
島外に持ち出すと神様の怒り(神罰)に触れ、激しい災いや病に見舞われる」
と固く信じられてきました。
この伝説は昔話ではなく、現代でも厳格に数千年前からずっと守られています。
島を維持するための清掃活動などで出た落ち葉や枯れ枝さえも、
島の外へは絶対に持ち出さず、すべて境内のなかで処理されています。
参拝客も「ここの石や貝殻は絶対に持って帰ってはいけない」と地元の人から教えられます。
逃げ遅れた海の生き物たちは「神様のお供」
内海湾は、「一支国」の王都・原の辻を訪れる
古代船が往来した玄関口です。
内海湾に入港した古代船は、小舟に荷物を積み替えて、
幡鉾川を通って原の辻へと向かったものと思われます。
江戸時代末期の1861(文久元)年に書かれた「壱岐名勝図誌」
にも内海湾の様子が挿絵で描かれており、
内海湾に多くの船が往来していたことが記録として残っています。
内海湾は弥生時代、日本(一支国・いきこく)と中国大陸や朝鮮半島を行き交う交易船が停泊する、非常に重要な港でした。
伝説では、外海(玄界灘)がどれほど激しい嵐で大荒れになっていても、この小島神社が鎮座する内海湾に一歩入ると、
まるで神様の大きな手に包まれたかのように波がピタリと穏やかになったと言われています。
旅を終えた古代の船乗りたちは、海に浮かぶこの美しい小島(小島神社)に向かって、
航海の安全と無事に帰国できたことへの深い感謝を捧げたと言い伝えられています。
小島神社に祀られているのは、日本神話でも特に海の力や嵐を司る素戔嗚尊(スサノオノミコト)や、
国生みの女神である伊弉冊尊(イザナミノミコト)です。
「海が道を拓き、島全体が神聖な結界に守られている」という伝説は、今も島の人々の心の中に息づいており
、訪れる人々を厳かな気持ちにさせてくれます。